東京の街から江戸の暮らしに思いを馳せる 江戸から続く東京の地名<幕府篇>

江戸幕府

東京は、慶長8年(1603年)に徳川家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開いてから400年以上の歴史を持つ都市です。その間には、江戸時代の町人文化や明治維新後の近代化など、さまざまな時代の流れを受けて、町の姿は大きく変化してきました。

東京の町の名前には、その歴史や特徴が反映されています。例えば、日本橋は江戸幕府の政治・経済の中心地として栄えた町であり、浅草は江戸時代から続く繁華街として知られています。

本記事では、東京の町の歴史を紐解き、現在の街の成り立ちや特徴を紹介します。東京の町を訪れる際には、ぜひその歴史に触れてみてください。


  • 世田谷区の戸建て


丸の内【千代田区】

丸の内

大名小路から「一丁倫敦」へ

丸の内とは、皇居外苑と東京駅に挟まれた地域を指します。江戸時代には、この一帯は江戸城の本丸に接し、外堀に囲まれ、多くの大名が将軍への忠誠を表すための証人(人質)を住まわせていた地域でした。また、大名自身が江戸入りの際の宿所にするための邸宅を建てていたため、「大名小路(だいみょうこうじ)」と呼ばれていました。大名たちは莫大な造成費用を投入し、競って豪壮な邸宅を建てて威勢を誇示していたといいます。ただ、安政二年(1855)の安政の大地震による大火により、これらの大名邸は消滅してしまいました。

江戸時代に大名屋敷が連なっていた江戸城の東側は、維新後、明治政府の軍事的中枢地域となり、明治23年(1890)、三菱社(現三菱地所)の岩崎弥之助が払い下げを受けたため、この辺りは「三菱ヶ原」と呼ばれる空地になりました。その後、1890年代には、ロンドンの市街地をモデルにした赤レンガ造りのオフィスビルが次々と誕生。「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」と称される美しい街並みを作り上げました。レンガ造りの東京駅が大正3年(1914)に完成し、丸の内界隈は事業所の新設・移転が相次ぎました。戦前・戦後と巨大なビル群の建設ラッシュが続き、我が国最大のオフィス街として発展しました。

ビジネスと洗練された都市生活の融合

現在の丸の内は、高層ビル群が林立する日本有数のビジネスセンター。しかし、単なるオフィス街にとどまらない魅力が満載です。

  • ショッピング&グルメ
  • 「丸ビル」「新丸ビル」「KITTE丸の内」といった大型商業施設には、国内外の有名ブランドや多様なレストラン、カフェが充実。東京駅直結でアクセスも抜群です。

  • 丸の内仲通り
  • 洗練されたブティックやカフェが軒を連ねる美しい通り。街路樹やアート作品が配置され、散策するだけでも気分が上がります。冬のイルミネーションは必見!

  • 文化・アート
  • 「三菱一号館美術館」のほか、丸の内エリアには様々なアート作品が点在し、街全体が美術館のような趣きです。

  • 憩いの広場
  • 広々とした東京駅前の広場や、丸の内仲通りのケヤキ並木など、都心とは思えないほど緑豊かな空間が広がっています。

アクセス抜群! 東京観光の拠点にも

東京駅というターミナル駅に直結しているため、JR各線や地下鉄各線でのアクセスは抜群。羽田・成田空港からのアクセスもスムーズで、東京観光の拠点としても最適です。

丸の内周辺のおすすめスポット

  • 丸ビル(丸の内ビルディング)
    多彩なショップやレストランが入る大規模複合ビル
  • 新丸ビル(新丸の内ビルディング)
    行幸通りを挟んで丸ビルの向かい側にある大規模複合ビル
  • 東京ビル TOKIA
    大人が食と音楽と美を楽しめる、ジャンルに富んだ施設が揃う商業ビル
  • 丸の内オアゾ
    ビジネスとカルチャーの融合がテーマ。都内最大級の総合ブックセンター『丸善 丸の内本店』が出店
  • iiyo!!(イーヨ!!)
    丸の内と大手町の結節点に立地、働く人をメインターゲットにした商業ビル
  • KITTE(キッテ)
    全国各地の銘品グルメやこだわりのライフスタイルを提案する商業ビル
  • 東京駅
    東京の玄関口。乗り入れ路線が多く、駅構内施設が充実。夜ライトアップされた駅校舎も見どころ
    重要文化財「東京駅丸ノ内本屋」について

  • 住建ハウジング


大手町【千代田区】

大手町

東京駅の西隣に位置し、日本経済の中枢を担う「大手町」。金融機関や大手企業の本社が集中するビジネス街として知られていますが、実は古くからの歴史を持ち、近年では再開発によって新たな魅力を発信し続けているエリアです。

江戸城の玄関口から金融街へ

「大手町」という地名は、江戸城の正門である「大手門」に由来します。慶長11年(1606)からの江戸城の大修築の際、江戸市街の大半を囲みながら堀が延び、その起点となったのが江戸城本丸への正門にあたる大手門です。江戸時代には諸大名の屋敷や幕府の役所が置かれ、まさに江戸の中心地として栄えました。大手門は明暦三年(1657)の大火(明暦の大火、振袖火事)によって全焼、渡櫓(わたりやぐら)も度々災害に遭い、第二次世界大戦によって全焼、その後昭和四十二年(1967)に復元されました。現存する高麗門と石垣は明暦の大火の翌年に再建されたものです。

大手門周辺が「大手町」と呼ばれるようになるのは明治五年(1872)以降です。明治維新後も、この地の重要性は変わらず、明治三十年代に大蔵省・内務省・内閣官報局・憲兵司令部・会計検査院・東京大林区署・私立商工中学校などが建設され、明治政府の官庁街として整備されていきました。戦後は高度経済成長とともに、大手銀行や証券会社が集中する「金融街」として発展。日本の経済を動かす「心臓部」としての地位を確立していきました。昭和四十五年(1970)に現在の大手町一、二丁目となりました。

進化するビジネス拠点

現在の大手町は、日本を代表する企業が集積する超高層ビル群が林立するエリアです。大手銀行の本店や大手商社も多く、ビジネス街の中心を担っています。近年の再開発により、オフィス機能だけでなく、国際会議場、ホテル(アマン東京、フォーシーズンズホテル東京大手町など)、商業施設、広場なども整備され、多様な機能を持つ魅力的な街へと進化しています。

主要駅直結で抜群のアクセス

東京駅に隣接し、地下鉄も丸ノ内線、東西線、千代田線、半蔵門線、三田線の大手町駅が乗り入れているため、都内各所へのアクセスは極めて良好です。

大手町周辺のおすすめスポット

  • 大手町の森
    大手町タワー敷地内にある都市のヒートアイランド現象緩和などを目的に作られた広大な緑地
  • OOTEMORI(オーテモリ)
    大手町の森と一体をなす複合商業施設。ランチや仕事帰りの利用に便利な店舗が多い
  • KITTE
    多彩なショップやレストランが入る大規模複合ビル
  • 将門塚
    10 世紀の反乱を率いた武士を祀る塚。復讐に燃える霊をなだめるために作られた
  • フォーシーズンズホテル東京大手町
    大手町駅直結の5つ星ホテル
  • 常盤橋タワー
    再開発エリア『TOKYO TORCH』内の2棟の超高層タワーの一つ。21年6月に竣工したA棟。 地下1階から地上3階にかけて商業ゾーンが展開
  • Torch Tower
    再開発エリア『TOKYO TORCH』内の2027年竣工予定の超高層タワー。高さは日本一を誇る390mになる

住建ハウジング資産

北の丸【千代田区】

北の丸

北の丸は現在の竹橋・五番町線(代官町通り)以北の千鳥ヶ淵、牛ヶ淵の堀に囲まれた地域であり、その北端に田安門、東側に清水門、竹橋門の城門を持ち、本丸北部に隣接しています。田安門は上州道の起点となり、当時の江戸五口『浅草口(常盤橋)』『柴崎口(神田橋)』『甲州口(半蔵門)』『小田原口(桜田門)』の一つでした。

江戸城の重要拠点から公園へ

北の丸エリアは、かつて江戸城の重要な防衛拠点の一つであり、徳川御三卿の一つである田安家と清水家の屋敷があった場所です。その名の通り、江戸城の「北」に位置し、堀と石垣に囲まれた堅固な造りでした。

明治以降は天皇の守衛や儀式を司る陸軍の師団「近衛師団」が設置されました。明治十一年(1878)八月二十三日夜に近衛歩兵連隊の反乱「竹橋事件」が起きていますが、近衛連隊は昭和二十年(1945)の終戦までこの地にあり、昭和四十四年(1969)に「国民公園北の丸公園」として一般公開されました。田安門の西側には千鳥ヶ淵水上公園や、代官町通り沿いに旧近衛師団司令部(国の重要文化財)があります。

自然と文化が融合する都心のオアシス

現在の北の丸公園は、歴史的な遺構と現代の文化施設、そして豊かな自然が見事に融合した魅力的な空間となっています。

  • 豊かな自然と広大な緑地
  • 四季折々の美しい表情を見せる広大な緑地が特徴です。桜や紅葉の名所としても知られ、都心にいながら森林浴を楽しんだり、ピクニックをしたりするのに最適です。池や小川もあり、野鳥観察も楽しめます。

  • 歴史的建造物と遺構
  • 公園内には、江戸城の面影を残す「田安門」や「清水門」(ともに重要文化財)といった歴史的な建造物が現存しています。重厚な石垣や堀も、当時の面影を色濃く伝えています。

  • 文化施設が充実
  • 公園内には、日本の近代工芸作品を展示する「東京国立近代美術館工芸館(旧:国立工芸館)」や、科学技術の進歩を体感できる「科学技術館」、日本武道館など、多様な文化施設が集積しています。イベント開催時には多くの人で賑わいます。

  • 散策やランニングに最適
  • 皇居外苑や千鳥ヶ淵緑道にも隣接しており、歴史を感じながらの散策や、都心のランニングコースとしても人気です。

都心からアクセスも良好

東京メトロ東西線「竹橋駅」や半蔵門線「九段下駅」からすぐという好立地。都心にありながら喧騒から離れ、静かで落ち着いた時間を過ごせるのが北の丸公園の魅力です。

北の丸周辺のおすすめスポット

  • 日本武道館
    武道だけではなく屋内競技場、多目的ホールとして利用される
  • 北の丸公園
    江戸城の北の丸であった場所にできた国民公園の一つ
  • 東京国立近代美術館
    明治時代後半から現代までの近代美術作品を随時コレクションし、常時展示
  • 科学技術館
    日々の生活に溢れる身近な科学の原理から応用まで様々な展示を行う施設
  • 千鳥ヶ淵
    側にある千鳥ヶ淵緑道は日本有数の桜の名所

  • 住建ハウジング資産


見附【千代田区】

牛込見附

千代田区の西端に位置する「見附(みつけ)」エリアは、古くから交通の要衝であり、現代においてもその役割を果たし続けています。歴史的な重みと、現在の活気が融合した、魅力あふれる場所です。

「外堀」に由来する地名

「見附」という地名は、江戸城の外堀(外郭)に設けられた要衝である「見附」に由来します。江戸城の規模拡大により、慶長八年(1603)までに城を中心として、「の」の字型右渦巻き状に堀が掘られました。この堀の分節となっているのが「桝形」(防御用の空地)を持つ城門「見附」です。この枡形構造を持つ城門が外堀に沿って多数配置され、城下町への出入りを監視する江戸城の防御の要として、重要な役割を担っていました。それらのいくつかが地名を冠した見附の称で呼ばれました(牛込見附、四谷見附、赤坂見附など)。明治以降、城門が撤去されても、これらの多くは地名として現在も残っています。

見附という語が「見張る」や「監禁する」を意味するように、城門の外側に面する場所に番所を設け、諸人の通行の監視をしましたが、のちに、一般的に内郭・外郭の差なく城門を指す呼称としても用いられました。江戸城には「三十六見附」があると言われていますが、実際の城門の数は100近くあるため、「三十六」は江戸八百八町などと同様に「主要な」あるいは「多数」を意味する言葉であると考えられます。

城門の警備は非常に面倒な規則に縛られて運営され、門番は昼夜を問わず常駐しなければならず、食事は炊き出しを原則としていました。やがて町人請負の「炊き出し屋」が賄うようになり、結果、見附付近に町屋が発展しました。

交通の要衝と多様な顔

現代の見附エリアは、その歴史的な背景を受け継ぎ、交通の利便性が非常に高い地域として、ビジネス、商業、文化が混在する多様な顔を持っています。四谷見附は、JR中央線・総武線、東京メトロ丸ノ内線・南北線が乗り入れる「四ツ谷駅」を中心とするエリアです。駅ビル「アトレ四谷」や上智大学などがあり、学生街・オフィス街・商業地が融合しています。赤坂見附は、東京メトロ丸ノ内線・銀座線「赤坂見附駅」があり、永田町駅とも地下通路で直結。主要駅へのアクセスが良く、ビジネス街としての顔を持つ一方で、周辺にはホテル、飲食店、夜の繁華街が広がり、活気にあふれています。

主要幹線道路が交差しており、車でのアクセスも良好です。

ビジネスと商業の融合

高層オフィスビルが立ち並ぶエリアと、路地裏に個性的な飲食店がひしめき合うエリアが混在しています。オフィスワーカーのランチや仕事終わりの会食需要に応える店が多く、夜も賑わいます。

歴史的背景と緑

外堀の遺構は、現在も千代田区と新宿区の区境に沿って残されており、水辺の景観が楽しめます。また、周辺には学習院初等科や上智大学などの教育機関が点在し、落ち着いた雰囲気も併せ持っています。

ホテルとエンターテイメント

特に赤坂見附エリアは、高級ホテルや多様な飲食店が集まることで知られ、国内外からの観光客やビジネス客が多く訪れます。

牛込見附周辺のおすすめスポット

  • 東京大神宮
    東京の『お伊勢さま』として、恋愛成就から仕事や対人関係などあらゆる縁にご利益があるといわれる神社
  • 靖国神社
    幕末から先の大戦までの「国のために尊い一命を捧げた方々のみたま」を祀る神社

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高田馬場【新宿区】

高田馬場

新宿区の北部に位置する「高田馬場(たかだのばば)」。この地名は、江戸時代に将軍家の馬場(乗馬の訓練場)があったことに由来し、歴史の趣を感じさせます。現在では、学生街としての活気と多様な文化が融合した、独特の魅力を持つ街として知られています。

将軍の馬場から学生街へ

高田馬場は江戸時代に幕府によって造られた馬場の一つでした。馬場とは幕府の旗本たちが乗馬・馬術の練習および流鏑馬などの馬術競技を行うための場所です。馬場は他にもありましたが、地名として残るのは高田馬場のみです。なお、「高田」は、家康の六男で越後高田六十万石(新潟県上越市)の藩主である松平忠輝の母、高田殿が遊覧した土地であることからついた地名とされています。

高田馬場を有名にした話が、元禄七年(1694)に起きた堀部(中山)安兵衛武庸の仇討ちです。この出来事から赤穂藩浅野家家臣・堀部弥兵衛の養子になり、のちに赤穂四十七士の吉良邸討ち入りに参加する一人となります。

明治時代以降、この地域は住宅地として発展。そして、1927年(昭和2年)に早稲田大学の専門学校が移転してきたことを皮切りに、多くの大学や専門学校が周辺に集積し始め、現在のような学生街としての基盤が築かれていきました。

ちなみに、学生街として知られる現在の高田馬場は、江戸の高田馬場とは別エリアです。明治四十三年(1910)、旧国鉄の駅ができた時、1キロメートルも離れているのにもかかわらず「高田馬場」が駅名として採用され、同時に駅周辺の地名が「高田馬場」となりました。ちなみに、江戸時代の高田馬場は現在の西早稲田三丁目あたりです。

学生パワーと多様な文化が融合

現在の高田馬場は、JR山手線・西武新宿線・東京メトロ東西線が乗り入れる交通の要衝であり、その立地から多様な顔を持っています。

  • 活気あふれる学生街
  • 早稲田大学、日本美容専門学校など、多数の学校が集まるため、若者が非常に多いのが特徴。学生向けのリーズナブルな飲食店や居酒屋、古本屋などが軒を連ね、常に活気に満ち溢れています。特にラーメン激戦区としても有名で、個性豊かなラーメン店がしのぎを削っています。

  • 多国籍な雰囲気
  • 日本語学校も多く、アジアをはじめとする様々な国籍の留学生が多く暮らしています。そのため、エスニック料理店や外国食材店も豊富で、国際色豊かな雰囲気が漂っています。

  • 文化的な側面
  • 「高田馬場AREA」や「Live House PHASE」といったライブハウスがあり、音楽カルチャーの発信地でもあります。また、手塚治虫がかつてこの地に住んでいた縁から、駅の発車メロディーがアニメ「鉄腕アトム」のテーマソングになっているなど、サブカルチャーの要素も感じられます。

  • 交通の利便性
  • 山手線で新宿や渋谷へのアクセスが容易な上、東西線で都心部へも直結。西武新宿線で埼玉方面へのアクセスも便利で、学生だけでなくビジネスパーソンやファミリー層にとっても住みやすい街として人気があります。

高田馬場周辺のおすすめスポット

  • 戸山公園
    園内にある箱根山は山手線内では最も標高が高い山として有名
  • おとめ山公園
    東京の名湧水57選に選ばれた湧き水があり蛍の養殖が行われる。『御留山または御禁止山』と書き、江戸時代は一般人は立入禁止だった

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お台場【港区】

お台場

東京湾に面し、レインボーブリッジを望む「お台場」。未来的な風景とエンターテイメント施設が立ち並ぶ人気エリアですが、その歴史は江戸時代にまで遡ります。幕末の防衛拠点から、現在の東京を代表する観光地へと変貌を遂げた、お台場の魅力を探ります。

幕末の防衛拠点から埋立地へ

嘉永六年(1853)、江戸湾(東京湾)入口の浦賀に、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーを乗せた黒船が開国を求めるため現れました。当時の日本には千石船(米1000石=150トン)以下の船しかなく、巨大な黒船を見物しようと人々が集まりました。一方、幕府はこれを脅威に感じ、アメリカ艦隊に対抗するための防衛手段として、品川沖に海上砲台(品川台場)を建造することが建議されました。ペリーが来航する嘉永七年(1854)春までに台場を完成させなければならず、商人たちに建設を請け負いさせました。当初は11ヵ所建造する計画でしたが、日米和親条約が結ばれたり、幕府の財政難などから計画は途中で中止となり、完成したのは第一、二、三、五、六台場だけでした。

明治以降、これらの台場は利用されなくなりましたが、大正時代から昭和にかけて東京港の発展とともに埋め立てが進められ、現在の広大な埋立地の基礎が作られました。本格的な開発が始まったのは、1980年代後半の「東京テレポート構想」からです。

各台場のその後は、第一、第五台場が埋め立てられて品川埠頭となり、七割程度の完成だった第四台場は埋め立てられて、天王洲の一部となっています。第二台場は航路の障害になるという理由で撤去されました。現在も形を残すのは第三台場(お台場海浜公園の外郭部分)と第六台場(レインボーブリッジの中間点)の二つです。 また、「台場」の地名は「港区台場(一・二丁目)」として残っています。

エンターテイメントと景観美の融合

現在のお台場は、東京を代表する観光地として、国内外から多くの人々が訪れる活気あふれるエリアです。

  • 未来的なエンターテイメント施設
  • 「お台場海浜公園」「アクアシティお台場」「ダイバーシティ東京 プラザ」「デックス東京ビーチ」といった大型商業施設や、デジタルアートミュージアム「チームラボボーダレス(移転予定)」、東京ジョイポリス、レゴランド・ディスカバリー・センター東京など、アミューズメント施設が充実しています。特に「ダイバーシティ東京 プラザ」前には実物大ガンダム立像があり、国内外のファンを魅了しています。

  • 象徴的な景観
  • レインボーブリッジ、自由の女神像、フジテレビ本社ビルなど、お台場ならではのシンボルが多数点在し、美しい東京湾の夜景とともに、フォトジェニックな景観を作り出しています。夕暮れ時から夜にかけては特にロマンチックな雰囲気に包まれます。

  • MICE機能の充実
  • 東京ビッグサイト(東京国際展示場)があり、大規模な見本市やイベントが開催され、ビジネス交流の拠点としても重要な役割を担っています。

  • 交通アクセス
  • ゆりかもめ、りんかい線が乗り入れ、都心部からのアクセスも良好です。水上バスも運航しており、東京湾クルーズを楽しみながらアクセスすることも可能です。

  • 防災機能の強化
  • 首都圏の防災拠点としても位置づけられており、広大な公共空間や防災備蓄倉庫の整備が進められています。

お台場周辺のおすすめスポット

  • アクアシティお台場
    お台場海浜公園に隣接する複合商業施設
  • お台場海浜公園
    人工砂浜『お台場ビーチ』は遊泳・釣りが禁止だが潮干狩りや浜遊びが楽しめる
  • 日本科学未来館
    国立の科学館。日々の素朴な疑問から最新テクノロジー、地球環境、宇宙探求、生命の不思議まで展示を常設
  • 東京ジョイポリス
    国内最大級の屋内型テーマパーク。VR体験や様々なアトラクションが楽しめる
    テーマパーク「東京ジョイポリス」について
  • デックス東京ビーチ
    都市型ショッピングモール。東京ジョイポリスやレゴランドなどエンタメ施設も充実
  • ダイバーシティ東京プラザ
    実物大ガンダムで有名な商業施設

住建ハウジング資産

※参考資料:大石学著『地名で読む江戸の町』PHP新書

千代田区、新宿、港区の住みやすさは?東京都心14区の住みやすさを各種データで比較した次の記事もご覧ください。

「都心に住もう!東京14区の住みやすさ比較」
千代田区  ⇒ 新宿区  ⇒ 港区

投稿者プロフィール

住建ハウジング編集部
「TOKYO@14区」は、東京都心の暮らしや不動産に関する情報を発信するウェブサイトです。運営元である住建ハウジングは、1977年創業の信頼と実績を誇る東京都心に特化した不動産仲介会社です。
不動産売買の手続きや費用、税金、相続、住宅ローンなどの専門知識をわかりやすく解説する記事や、各エリアの街の魅力や暮らしやすさを紹介する地域情報などのコンテンツを提供しています。
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