東京の街から江戸の暮らしに思いを馳せる 江戸から続く東京の地名<寺社地篇>

浅草寺

上野【台東区】

有楽町

広域地名では上野駅を中心とするエリアを指し、「上野・浅草副都心」を形成する上野。行政地名は上野一丁目から七丁目。上野エリアには日本最初の公園である上野恩賜公園(上野公園)や、東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館など数多くの文化施設があります。

「上野」という地名の由来は所説あり、

  • 平安時代初期の公卿で学者・歌人でもあった小野篁(おのたかむら)が、任が終わり上野国(こうずけのくに:群馬県)から京に帰る途中、しばらく滞在したためとする説
  • 伊賀上野(三重県)藩主の藤堂和泉守高虎(とうどういずみのかみたかとら)が江戸に来た際に、地形が本拠地と似ているため命名した説
  • 小高い丘で草が生い茂る野原であったことによる説

などとはっきりしていません。ただ、戦国時代の『小田原衆所領役帳』に“江戸上野”などの記載があることから、江戸時代以前からの地名であることは確かなようです。

江戸幕府が編纂した『御府内備考』によれば、上野台地は江戸初期に「上野村」と呼ばれていたことが分かります。そして、寛永二年(1625)、この地に天台宗東叡山寛永寺が建立されたため、上野村は上野山南麓に代地を与えられ、ここに町屋を開き、「上野町」となります。

徳川氏の菩提寺は家康により芝(港区)の浄土宗三縁山増上寺を定めていましたが、三代将軍家光の死後、幕府は家光の遺言に従い、寛永寺も菩提寺と定めました。寛永寺には徳川歴代将軍の墓<四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、一〇代家治、一一代家斉、一三代家定の六人、一五代慶喜は寛永寺の霊園に埋葬>が建てられ、江戸幕府の保護もあり繫栄、それとともに門前町である上野も発展していきました。

明治維新(1868)の際、寛永寺の境内に立てこもった旧幕臣らによって結成された彰義隊(しょうぎたい)を、薩摩・長州などの明治新政府軍(官軍)が攻めた戦い「上野戦争」で堂宇のほとんどが焼失し、勝利した新政府はこの地を没収、後の上野公園となる西洋式の公園を造りました。明治23年(1890)に帝室御用地となり、大正13年(1924)に不忍池とともに東京市に下賜されました。

上野周辺のおすすめスポット

  • 上野動物園
    日本で最も古く、年間入園者数日本一の動物園。都内で唯一パンダを観れる動物園
  • 上野恩賜公園
    通称「上野公園」。園内には博物館や美術館、上野動物園などが存在。西郷隆盛像が有名
  • 国立科学博物館
    日本の自然史・人類学・科学技術に関する資料を収集・保存・展示。高校生以下入場料無料
  • 東京国立博物館
    日本最古の博物館。日本と東洋の文化財を収蔵、研究、展示する。国宝や重要文化財が多数あり
  • 東京都美術館
    収蔵品数が多く、日本画、洋画、版画、彫刻、工芸など、幅広い分野の作品を展示
  • 国立西洋美術館
    西洋美術全般を対象とする美術館として唯一の国立美術館。本館は世界文化遺産に登録されている
  • 鈴本演芸場
    落語や講談などの伝統芸能の公演が行われる落語定席のひとつ。基本的に落語協会所属の芸人が出演する
  • 上野の森さくらテラス
    上野公園にある商業施設。旧上野松竹デパート。屋上テラスが上野公園と繋がっている
  • 御徒町吉池本店ビル
    創業90年超の「食料品 吉池」のリニューアルや話題の店舗が複数出店。
  • 上野東照宮
    上野公園内にある神社。徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀る
  • エキュート上野
    上野駅構内にあるショッピングモール。東京観光のお土産処が充実
  • アトレ上野
    上野駅内直結の複合商業施設。EAST、WESTの2つある
  • 花園稲荷神社
    上野公園内に鎮座する神社。縁談、商談、就職等の縁結びの神社として知られる
  • UENO3153
    西郷会館跡地に建てられた大型飲食店ビル。人気店、老舗料理店などが集まる新グルメスポット

浅草【台東区】

八重洲

浅草は、東京都台東区にある歴史ある街で、浅草寺の門前町として栄え、伝統的な日本の文化や風習が残る観光スポットとして有名です。上野駅近辺と共に、浅草駅周辺を中心として「上野・浅草副都心」を形成しています。

浅草の地名の由来については所説あり、かつてこの地域が草深い浅い川のそばにあって、“草”深い“浅”い川の略称として使われていたという説や、草深い武蔵野の中で草があまり茂っていなかったことによるという説もあります。はっきりしていることは、鎌倉幕府が編纂した『吾妻鏡』の治承5年(1181)の項にその名がすでに記されており、古くから浅草寺を中心に集落が形成されていたということです。

浅草寺の起源は、『浅草寺縁起』によると、推古36年(628)に、この土地の漁師、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟が、宮戸川(隅田川)で漁をしていた時に一寸八分の観音像を網で掬い上げ、主人の土師真中地(はじのまつち)の邸宅に祀ったのがはじまりといいます。檜前浜成・竹成・真中地の三人を祀ったのが三社権現(浅草神社)で、「三社権現」「三社祭」の「三社」とは、この三人を指しています。

浅草寺は東叡山寛永寺が祈願所として建てられるまでは、将軍家の代表的な祈願所としての役割を果たしており、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの出陣の際にも、家康がこの観音堂で戦勝祈願を行いました。

現在、雷門から宝蔵門までの約140メートルの参道は仲見世と呼ばれ、お土産店や屋台がたくさん並んでいますが、当時、参道の掃除を課せられた付近の住民が、その代償として床見世の出店を許されたのが初めてといいます。

浅草周辺のおすすめスポット

  • 浅草神社
    浅草寺に隣接する神社。毎年5月第3週の金土日曜日に行われる「三社祭」が有名
  • 浅草寺
    都内最古の仏教寺院。雷門から続く参道の「仲見世通り」は、日本で最も古い商店街のひとつで、日本の下町情緒を感じられる店が立ち並ぶ
  • 浅草花やしき
    嘉永6年(1853)に花園として開園。日本で最初の遊園地といわれる
  • 浅草演芸ホール
    落語をはじめ、漫才や手品、曲芸など様々な演芸が楽しめる。萩本欽一やビートたけしなどを輩出
  • かっぱ橋道具街
    プロ仕様の調理器具や食器、厨房設備から業務用食材などの店舗が集まる問屋街
  • 元祖食品サンプル屋 合羽橋店
    食品サンプル製作体験から、商品化前のテスト販売などユニークなサービスが楽しめる
  • 隅田公園
    隅田川の両側、南北に長く広がる公園。桜の名所としても有名

門前仲町【江東区】

御茶の水

門前仲町(もんぜんなかちょう)は、東京都が東京市時代にかつて存在した深川区(現江東区の北西部)に当たる深川地域内の地名です。亀戸と並ぶ江東区の中心であるこの町は、富岡八幡宮の西南に広がり、かつて永代寺門前仲町、のち富岡八幡宮門前仲町として栄えてきました。富岡八幡宮は通称深川八幡宮とも呼ばれ、日枝神社(山王権現)の山王祭・神田明神の神田祭とともに江戸三大祭の一つに数えられる祭礼が行われることでも有名です。

歴史を振り返ると、寛永4年(1627)、富岡八幡宮別当寺の永代寺に幕府から土地が与えられ、承応2年(1653)4月に、その土地内で門前町屋が許可され、永代寺門前仲町が始まりました。元禄11年(1698)に永代橋が隅田川の第4番目の橋として架けられると、江戸中心部からの参詣が容易になり、富岡八幡宮と永代寺は賑わいました。祭礼以外にも大相撲の興行が一時期行われて多くの見物人を集めましたが、他にもこの付近が栄えた理由に岡場所の形成があります。その規模は文化~文政期(1804~30)には新吉原を凌ぐほどであったといいます。

永代寺は明治元年(1868)に、神仏分離令で廃止され、現存するのは再興されたものです。深川永代寺門前仲町は周辺の門前山本町、蛤町、黒江町と合併して深川富岡門前仲町となり、昭和44年(1969)に住居表示を実施して、現行の門前仲町になりました。

門前仲町周辺のおすすめスポット

  • 成田山 深川不動堂
    真言宗智山派の寺院。千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院。諸願成就・厄難消除・交通安全・家内安全・商売繁盛
  • 人情深川ご利益通り
    深川不動堂まで続く約150mの参道。和菓子や江戸小物・宝飾品などの店が並ぶ活気ある商店街
  • 永代寺
    門前仲町の名前の元となる参道があった寺。江戸時代に富岡八幡宮の別当寺院として建立。明治に一度廃寺になった
  • 富岡八幡宮
    日枝神社・神田明神と共に、江戸三大祭りの一つである例祭が行われる由緒ある神社
  • 深川公園
    永代寺の跡地にできた公園。上野公園や浅草公園などと共に、日本で最初に造られた公園の一つ
  • 明治丸
    既存する日本最古の帆船。灯台巡視船としてイギリスに造船を発注。国の重要文化財に指定

目黒【目黒区】

後楽園

目黒は目黒区の町名で、目黒区の北東に位置し、品川区との区境に当たるエリアです。名前の由来は目黒不動からや馬の目の色からなど所説あります。元々、目黒・目白・目赤・目青の四不動は昔から有名でしたが、三代将軍家光はこれに目黄(めき)を加えて五不動とし、江戸鎮護のため江戸の五カ所に安置しました。目黒不動は現在、目黒区下目黒三丁目にある泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)、通称「目黒不動尊」に安置されています。同寺は三代将軍家光の帰依を受けて整備され、江戸中期以降に信仰が盛んになると参詣者が増加し、目黒不動の参道には門前町が形成されて、江戸末期に至るまでは寺町として栄えました。なお、目黒以外の4不動が現在安置されている場所は次の通りです。

目白不動 目白不動尊 金乗院(真言宗豊山派 神霊山) 豊島区高田二丁目
目赤不動 目赤不動尊 南谷寺(天台宗 大聖山) 文京区本駒込一丁目
目青不動 目青不動尊 教学院最勝寺(天台宗 竹園山) 世田谷区太子堂四丁目
目黄不動 目黄不動尊 永久寺(天台宗 養光山) 台東区三ノ輪二丁目、明王院最勝寺(天台宗 牛宝山)江戸川区平井一丁目

江戸が発展を遂げるに伴って人口も増加し、武士や商工人などの住人のための野菜の供給地として目黒地域も発展しました。目黒周辺は良質なタケノコの栽培が行われていたタケノコの名産地で、「目黒のタケノコ」として有名でした。目黒不動の門前ではタケノコ飯が販売され、参詣者からも好評を得ていました。一方、落語の「目黒のサンマ」も有名ですが、落語に登場する実在の茶屋では、立ち寄った歴代将軍にサンマを出したという記録は残っていないとのこと。

江戸時代には自然に恵まれていた目黒ですが、近代になると中小工場が建設されて、農地は住宅地へと変わっていきます。大正12年(1923)の関東大震災後には鉄道などの交通網が整備され、宅地化が進み人口が急増していきました。

目黒周辺のおすすめスポット

  • 目黒不動尊(瀧泉寺)
    瀧泉寺は江戸時代からの歴史で、徳川家光も参拝したといわれる
  • ホテル雅叙園東京
    結婚式場やホテル、ショップやレストランなどが入る複合施設。東京都指定有形文化財の「百段階段」では様々な企画を開催
  • 国立科学博物館自然教育園
    「旧白金御料地」として園内全域が天然記念物および史跡に指定される。広さ20ヘクタール(東京ドームの約4倍)
  • 目黒川
    約800本もの桜が咲き誇る川沿いの桜並木には、春に大勢の人が訪れるお花見スポット
  • 大鳥神社
    平安時代に創建。日本武尊にまつわる伝説の多い目黒区最古の神社。11月に行われる酉の市は有名
  • 目黒寄生虫館
    寄生虫学専門の私立博物館。世界でも珍しい博物館で海外からも注目される。入場料無料。デートスポットとしても人気

高輪【港区】

番町

高輪は港区の南端に位置するエリアで、泉岳寺駅、高輪ゲートウェイ駅、品川駅の西側に当たります。この辺りは台地であり、高輪周辺は「高輪台」「三田台」「白金台」というように「台」の付く地名が多くあります。

高輪の地名の由来は、『新編武蔵風土記稿』によると、「土地往還の縄手道(なわてみち:直線状の道)にして、頗(すこぶる)高き所なれば高縄と唱へし」とあります。すなわち、高台に通っていた縄手道に由来するということです。この「高縄手」の略語の「高縄」が、「高輪」へと変わりました。

江戸時代、高台には諸藩の下屋敷(別荘)が置かれたことから、明治時代以降には財界人などの邸宅が並ぶようになり、都心の住宅街として有名になります。しかし、今は、邸宅の多くがホテルやマンション、公共施設などに取って代わられ、かつての姿はありません。

三田・高輪周辺には外国公館跡が集中していますが、これは、この地域が海に面しており、外国人の上陸地点に近いことと、由緒ある大きな寺院が多くあり、必要な設備を整えやすかったことが影響しています。ここで起きた有名な事件として、攘夷派の浪人たちがイギリス公使館を襲撃した「東禅寺襲撃事件」がありました。この沢庵和尚で有名な東禅寺は、安政6年(1859)にイギリス公使館に指定されていました。

高輪周辺のおすすめスポット

  • 八芳園
    結婚式場として有名な会場。盆栽や池など日本庭園が楽しめる。元は江戸時代の大久保彦左衛門の屋敷
  • 泉岳寺
    曹洞宗の寺院。浅野内匠頭と赤穂浪士が祀られていることで有名。境内には「赤穂義士記念館」がある
  • マクセル アクアパーク品川
    水族館を核とする屋内型テーマパーク。最先端技術を用いた演出の新しい形の水族館
  • 東京都庭園美術館
    1933年に建設されたアール・デコ様式の旧朝香宮邸とその空間をいかした、白金台にある都立美術館
  • 高輪神社
    主なご利益は商売繁盛。 境内には、聖徳太子を祀る高輪太子宮や、港区の文化財に指定されている高輪神社力石がある
  • 覚林寺(かくりんじ)
    通称「清正公」。加藤清正の位牌や像が祀られている白金台にある日蓮宗の寺院。山号は最正山
  • エキュート品川
    JR品川駅構内にあり、気軽に立ち寄れる複合型商業施設。食事や買い物に便利なお店が集まる

高輪についてさらに知りたい方は次の記事もご覧ください。

TOKYO@14区「港区 高輪(たかなわ)」

小石川【文京区】

八丁堀

現在、文京区の町名や小石川後楽園(現、文京区後楽)、小石川植物園(現、文京区白山)などの名前として残る「小石川」ですが、江戸時代における小石川が指すエリアは、北は巣鴨、南は小石川門前の外堀、東は本郷・駒込、西は小日向までの広範囲に及んでいました。

地名の由来は、所説ありますが、小石の多い小川があったからとする説が有力です。その事は『江戸名所図解』に記されていたり、松尾芭蕉が詠んだ句碑から窺うことができたりしますが、今、この小石川は存在していません。かつて小石川は、『新編武蔵風土紀稿』によると、現在の豊島区長崎付近に発して、文京区内はほぼ春日通り付近を流れて、水道橋のやや上方で神田川に注ぐ川でした。なお、小石川の地名は、既に中世の書物にその記載があったことが知られています。

江戸初期において小石川は純農村でしたが、火災の際の避難所として、武家・寺社・商人などの抱屋敷(かかえやしき:居住地以外に所持した別宅)の需要が増したため、小石川の400石もの田畑が潰されて、その大半が武家抱屋敷として宅地化されました。小石川は幕末には55の抱屋敷があり、江戸の中でも抱屋敷が最も多い地域の一つになりました。

小石川は武家屋敷だけではなく寺社も多く、江戸三閻魔の一つで俗に「こんにゃくえんま」と呼ばれる「源覚寺」、徳川ゆかりの女声の墓が数多くある「伝通院」(正式名:浄土宗 無量山寿経寺)が有名です。

小石川周辺のおすすめスポット

  • 源覚寺(こんにゃくえんま)
    「こんにゃくえんま」と通称される閻魔王像が祀られている。小石川七福神のひとつ「毘沙門天」も祀っている。
  • 伝通院【傳通院】(でんづういん)
    徳川ゆかりの女声の墓が数多くある。家康公の母・於大の方(おだいのかた)の菩提寺で、その法名が寺の名前の由来


※参考資料:大石学著『地名で読む江戸の町』PHP新書

浅草寺