港区 高輪(たかなわ)

江戸城の外濠跡。皇居周辺の緑豊かで落ち着きある街並み

江戸時代には下屋敷が立ち並んでいたこの地は、明治時代以降、皇族や財界人の邸宅の住宅地となりました。
今も、東京で上場企業の社長が多く住む街ランキングの第1位ともいわれています。
人生の成功者が選ぶ洗練された上質な雰囲気は、一度足を運べば体感することができることでしょう。
また、ホテルや大使館が多い、国際色豊かな街でもあります。
皇居も近いことから緑豊かで落ち着いた街並みが大きな魅力です。


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高輪の地理

高輪は港区を代表する高級住宅地のひとつで、JR山手線「品川駅」から西へ、白金・白金台方面に向けて広がる丘陵地です。
泉岳寺をはじめ由緒ある寺社も多く、東海大学や明治学院大学のキャンパスや、スリランカ、エチオピア、ブルネイなどの大使館もあり、閑静な住宅地でありながら国際色豊かで、若者の活気も感じられます。
かつて江戸の治安維持のため、東海道の両側に石垣を築かれたここ高輪は、どの街にもあった「町木戸」に対し、江戸全体を守る木戸であったため「大木戸」と呼ばれました。
当初は柵門があり、時間によって開閉していましたが、のちに廃止されたため、今に残る浮世絵には石垣のみが描かれています。
なお、日本全国を測量で歩いた伊能忠敬が、日本地図作成の起点としたのが「大木戸」でした。
明治時代に西側の石垣は取り払われてしまい、現在は国道15号沿いで、東の石垣だけを見ることができます。

高輪の特徴

高輪は実業家、政治家、貴族、華族らが構えた大邸宅が多いという特徴があります。
これらの大邸宅はホテル、マンション、企業の保養施設、公共施設などに転用されたものも多いのですが、敷地のゆったりした一戸建て住宅も多く見られ、こうした物件も一定の水準で売買されています。

最寄り駅


最寄り駅としてはJR「品川駅」、都営地下鉄浅草線・京浜急行電鉄「泉岳寺駅」、都営地下鉄三田線・東京メトロ南北線「白金高輪駅」、都営地下鉄浅草線「高輪台駅」が利用できますので、東京都心の各都市へのアクセスは非常に優れています。
品川駅からは東海道新幹線を利用することもできます。
羽田空港や成田空港に行くにも利便性が高く、国内・海外への出張の多い方が居を構えるにも最適の場所といえるでしょう。
道路事情に目を向けると、国道1号(桜田通り)と国道15号(第一京浜)という幹線道路が利用しやすく、首都圏主要都市への車での移動も便利といえるでしょう。

高輪の周辺にある施設


歴史ある土地であることから、由緒ある神社仏閣を多数擁しているのが高輪の特徴といえます。
中でも高輪2丁目にある泉岳寺は、駅名にもなっているほどの有名スポットで、主君への忠誠を誓う話として有名な、「忠臣蔵」の赤穂義士と深い関係があります。
泉岳寺には四十七士の墓があり、春と冬の年2回「赤穂義士祭」が開催されています。
主君の仇である吉良上野介を討ち取った12月14日の祭では、供養だけでなく「財界二世学院主催義士行列」も行われます。
なお、境内には「赤穂義士記念館」や、赤穂義士に関係する物が多数あり、歴史好きから人気を博しています。
東海道新幹線が開通し、羽田空港へのアクセスも快適であることから、高輪エリアの一部はホテル密集地となっています。
特に品川駅高輪口には、「品川プリンスホテル」や「ザ・プリンス さくらタワー東京」「グランドプリンスホテル新高輪」「グランドプリンスホテル高輪」など、有名なホテルが集まっています。
日本国内はもちろん、外国人利用者が多いことでも知られ、付近はインターナショナルな雰囲気にあふれています。
また、品川駅高輪口には、ショッピングセンター「ウィング高輪」や、ラーメンや丼物の名店がそろう食のテーマパーク「品達」も人気で、多くの人で賑わっています。

高輪の歴史

高輪の歴史は古く、その歴史は戦国時代までさかのぼります。
そもそも「高縄(たかなわ)」とは高台の直線の道を表しており、1524年の「軍記物語」に「高縄(たかなわ)原」という名前が登場し、江戸城を攻めた小田原の北条軍が、守勢に立つ上杉軍と激戦を繰り広げたという記録が残っています。
これが、高輪の地名の由来とされています。
もちろん他の地名同様、諸説あり、それを裏付けるように表記は「高縄」以外にも「高鼻和」「高名輪」「高畷」など、時代や書物によってばらつきがあるようです。

現在の「高輪」に落ち着いたのは江戸時代の初期のことで、この頃、上高輪町・下高輪町に分かれたことが判明しています。
やがて明治以降、上高輪町は姿を消してしまいます。
そして戦後間もない1947年に港区が成立し、その後の新住居表示によって吸収合併が相次ぎ、現在の高輪が誕生しました。

なお、高輪は皇族の邸宅が多数あるエリアでしたが、終戦後の宮家の解体に伴い、ほとんどが売却されました。
買い取られた土地や建物はホテルなどに変わっています。実は「プリンスホテル」という名前は、その名残りなのです。
近代以降、宿場町の影を色濃く残すこの地一帯は、官営の品川硝子製造所が設立されたことで京浜工業地帯の発祥地として発展します。
開発が進み、田畑が工場へと変わり、国鉄や私鉄が次々と開業したことで、高輪周辺も都市化しました。
付近の港南同様、再開発による建設ラッシュが続いたため、一帯は一大ビジネスマーケットとして変貌を遂げています。
一方で、湾岸エリアほど開発の影響を受けていないエリアも高輪には多く、街は今でも落ち着いたたたずまいを見せています。

もっと高輪の魅力について知りたい方は→「憧れだけじゃない高級住宅地の素顔」

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