渋谷区 松濤(しょうとう)

東京都心を代表する高級住宅地のひとつ

若者の街として知られ、世界中の観光客をも虜にするエネルギーに満ちた副都心・渋谷。
文字どおり谷あいにある渋谷の駅からゆるやかな坂を上って西へ歩を進めると、優雅な戸建てが建ち並ぶ住宅街が姿を現します。
その成熟した雰囲気とアクセスの良さで、社会的地位の高い層から根強い人気を集めるのが「松濤」です。
地名は、かつてここに茶園「松濤園」があったことにちなんでいます。


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松濤の地理


松濤は渋谷区の南西部、JR「渋谷駅」から西の高台に位置する、東京都心を代表する高級住宅地の1つです。
近年は主要道路沿いにマンションが増えましたが、通りから一本奥に入ると多くが一戸建て住宅となっており、一区画が広く奥深い、緑豊かで閑静で屋敷街の風情が感じられます。
最寄り駅は京王井の頭線の「神泉駅」ですが、JR渋谷駅からも徒歩圏内です。
都内主要地域へのアクセスに不便を感じることはないでしょう。
エリアの西側には首都高速中央環状線が南北に走り、山手通り(都道317号)も併走しています。
首都高速3号渋谷線、青山通り、井の頭通りも利用しやすいため、車による首都圏の移動が多い人にも最適な立地となっています。

松濤の特徴


松濤には、江戸時代は紀伊徳川家の下屋敷が置かれていました。のちに佐賀鍋島家が茶園を開き、それが地名の由来となっています。
茶園はやがて果樹園とされたことから、この地が温暖で肥沃な自然に恵まれていたことが窺えます。
渋谷を一望できる「東急百貨店本店」が松濤のランドマークですが、同百貨店はテナントの水準が高く、美術画廊や棟方志功ギャラリーなど文化面で充実していることで知られています。
隣接する「Bunkamura」のほか、数々の美術館や文化施設が閑静な住宅街に点在していることからも、松濤の居住環境水準の高さを感じ取っていただけるでしょう。

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松濤の最寄り駅


「渋谷駅」をスタートし、京王井の頭線各駅停車が最初に停まるのが「神泉駅」です。
帝都電鉄の駅として開業されたのは1933年(昭和8年)と、80年以上の歴史を有しています。
駅の多くが地上にある京王井の頭線の中でも珍しい、地下のような構造になっている駅は、関東の駅100選に「静かでトンネルの合間の小駅」という理由で選ばれています。


1日の乗降者数は1955年(昭和30年)の3,000人程度から順調に増加し、2000年を過ぎたあたりから年間約10,000人で安定しています。
京王井の頭線の始発駅である渋谷駅からは500m程度の距離ですが、ゆるやかな道玄坂を登り切った先にありバスなどの交通手段がないことから、渋谷から一区間だけ利用する人も多いようです。
渋谷周辺だけに坂が多く、駅の東側にはナイトスポットが集中する円山町があります。
また、古くから営業を続ける老舗旅館や小料理屋なども点在しています。
2000年代に入ってからは、若者向けのクラブやライブハウスが次々と産声を上げ、クラブカルチャーの発信拠点としても知られています。
高級住宅街の松濤があるのは駅の南西側です。
駅前から、小規模ながらも個性的な商店街が山手通りに向かって伸びているため、近場で買い物を済ませることもできます。
なお、神泉駅は東京急行電鉄本社の最寄り駅でもあります。

松濤の周辺にある施設


閑静な住宅街の中に、Bunkamuraや戸栗美術館、松濤美術館といった文化施設がたくさんあります。
Bunkamuraは1989年にオープンした日本初の大型の複合文化施設です。
美術館(美術)、映画館(映像)、コンサートホール(音楽)、劇場(演劇)と、あらゆる芸術を網羅する各施設を備えているのが特徴です。
さらに、カフェやアート関連ショップも入っており、開業以来、新しい文化の発信拠点として注目を集めています。

周辺の公園施設として真っ先に名が挙がるのが「鍋島松濤公園」です。
茶園・松濤園の敷地内にあった湧水池の一角を、1924年に児童公園として一般に公開したもので、のちにこの公園は東京市に寄贈され、戦後、大正時代に明治神宮の参道として作られた通りですが、今や流行の最先端。に移管されました。
敷地面積は5,012平方メートルと広大で、ソメイヨシノやシダレザクラ、椿、楓など樹木が多く、都心にしては珍しく野鳥や昆虫が生息しています。水車のある大きな池では錦鯉が優雅に泳ぎ、亀が甲羅干しをしているところを見ることができます。
昼間は、子連れの母親やサラリーマンの憩いの場となっています。

松濤の歴史


江戸時代を今に伝える地誌「江戸砂子」に、最寄り駅である神泉の由来が見られます。
「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」と記されています。
つまり、一帯は古くから霊泉として知られていたのです。
紀州徳川家の下屋敷だったこのあたりに茶園・松濤園ができたのは1872年(明治5年)です。
松濤とは、茶の湯の釜のたぎる音を、松風と潮騒に例えた呼び名で、かつては松濤という銘柄のお茶が生産されていたといわれています。
が松濤と呼ばれるようになるのは、1928年のことでした。
現在のような高級住宅街に変わった契機は、1923年に発生した関東大震災です。
地震によって現在の首相官邸にあった鍋島家本邸が倒壊。
現在は渋谷区立松濤中学校になっている高台にその本邸を移し、周辺を約200坪単位で宅地に分譲していったのです。
分譲の際、対象を信用のおける人に限ったため、必然的に軍の幹部クラスや大企業の重役など、社会的地位の高い人々の一家が居住することになりました。
大戦と高度経済成長期を経てゆるやかに、それでいてしっかりと今の松濤が形成されていったのです。

もっと松濤の魅力について知りたい方は→「憧れだけじゃない高級住宅地の素顔」

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