東京の街から江戸の暮らしに思いを馳せる 江戸から続く東京の地名<交通の要所篇>

日本橋

日本橋【中央区】

日本橋

日本橋は、東京都中央区にある地名およびその周辺地域の総称であり、日本の経済や文化の中心地の一つとして知られる地域です。隣接する丸の内や大手町などと共に、日本最大のビジネス街を構成しています。

歴史的には、日本橋は東京の中心部に位置し、江戸時代から日本の商業の中心地として栄えてきました。江戸時代には、日本橋周辺に多くの商家や問屋が集まり、物流や金融の中心地として発展。また、日本橋は五街道の起点でもあり、日本全国への物資の流通の拠点としても重要な役割を果たしました。現在も日本の道路の起点として、日本橋の中央に日本国道路元標があり、一級国道の起点となっています。

橋の始まりは、徳川家康が江戸の市街地整備を行った際に、江戸城下の平川(のちの日本橋川)の河口が延長され、その時に平川に架けられた木橋が、のちの日本橋です。
慶長9年(1604)の街道整備に伴い、この日本橋を起点として一里塚が建設され、以来、旅人にとって一里塚は、道のりの目安や休憩場所として利用されてきました。

江戸に関する基本史料の『御府内備考』(江戸幕府が編纂した江戸の地誌)には「日本橋」という記載がありますが、名前の由来は定かではありません。ただ、日本国中の人々が集まる日本の中心の橋という認識から、「日本橋」という呼称が定着して、いつしか橋だけの名前ではなく、そのエリア一帯を指す名称として使われるようになっていったと考えられます。

日本橋の北詰東側と江戸橋の間には魚河岸がありました。天正年間(1573~92)、徳川家康の関東入国に際し、家康に縁のあった摂津国佃村(大阪市西淀川区佃)の名主森孫右衛門ら漁夫30余名が江戸に移住して(寛永年間(1624~44)説もあり)漁業を営み、その漁獲物を幕府に納め、残りをこの地で売り出す許可を得ました。その後、同業者も増え販売量も増加したため、慶長年間(1596~1615)に森九右衛門(森孫右衛門の長男)らが本格的に売り場を本小田原町に開設するようになったのが、日本橋魚河岸の始まりと言われます。その後、大正12年(1923)9月1日の関東大震災で焼失し、魚河岸は築地に移転されました。

現代の日本橋は、ビジネス街としての顔も持ちながら、歴史的な建築物や伝統的な商店街も多く残っており、観光スポットとしても人気があります。また、日本橋は東京の交通の要所でもあり、多くの鉄道や道路が交差する交通インフラの中心地としても重要な位置を占めています。

日本橋周辺には、日本の伝統文化に触れられる施設や、飲食店、商業施設、高級ブランド店なども多くあり、観光客に人気のスポットとなっています。また、現在の日本橋本石町にある日本銀行はかつて金座があったところであり、日本橋は金融街としても知られ、多くの金融機関や証券会社が集まるなど、経済の中心地としての役割も果たしています。

日本橋周辺のおすすめスポット

  • 日本橋
    古代から存在するとされる橋。現在の橋は石造アーチ道路橋で、デザイン的にも技術的にも優れた明治期を代表する橋として、平成11年(1999)国の重要文化財に指定
  • 日本銀行金融研究所貨幣博物館
    古代から現代に至る、貨幣・紙幣の実物(一部は複製)と資料を合わせ、貨幣制度の移り変わりを展示する博物館
  • 三井記念美術館
    旧財閥三井家の伝来品を収蔵展示するために設立された私立美術館。特に、江戸時代の絵画や美術工芸品に強みを持ち、現代美術にも力を入れています
  • 小綱神社
    「強運厄除けの神さま」といわれるパワースポット。起源は村の疫病を鎮めたとされる稲荷神を祀る「小網稲荷大明神」
    「東京のおすすめパワースポット!縁結び・商売繁盛・金運などのご利益がある神社・寺院『小網神社』
  • 日本橋三越本店
    三越伊勢丹が運営する三越ブランドの百貨店の本店。三越の前身である呉服商の「越後屋」は延宝元年(1673)江戸本町にて創業。日本の百貨店業界の歴史と伝統を象徴する存在
  • 日本橋髙島屋S.C.
    大阪に本社を置く老舗百貨店「髙島屋」の日本橋店。2009年に建物が日本の百貨店建築として初の国の重要文化財に指定。2019年に「日本橋髙島屋 S.C.」に全面リニューアル
  • 日本橋クルーズ
    日本橋船着場より乗船する乗り合いクルーズ。個性のあるリバーガイドが船から東京の街を楽しく案内してくれます
  • 三浦按針屋敷跡
    将軍徳川家康の直属の旗本となった英国人「三浦按針(みうらあんじん)」、本名ウィリアム・アダムズ(William Adams)の屋敷跡。日本史上初の幕府に仕えた外国人。その功績を称え、屋敷のあった辺りは「按針町」と呼ばれていました。現在、その名は「按針通り」と道路の名前として残り、屋敷跡には石碑が建てられています

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品川【品川区】

品川

品川は地域名で、元々は目黒川の下流から河口付近一帯の地域を指しましたが、港区の品川駅周辺も含めることがあります。名前の由来は、品よき地形であったところから、隣村の「高輪」に対して「品ヶ輪」と名付けたという説、目黒川の古名を「下無川(したなしがわ)」と言っていたことから品川になった説など諸説あります。

元は湊町だった品川周辺は、江戸時代には宿場町「品川宿」として栄えました。宿場は目黒川を挟んで南北に分かれており、享保7年(1722)に歩行新宿(かちしんしゅく ※品川宿と高輪の間に存在していた茶屋町が宿場として認められたもの。宿場が本来負担する伝馬と歩行人足のうち、歩行人足だけを負担した新形態の宿場)が新たに加わりました。

宿場の繁栄は、共に『江戸四宿』と呼ばれた「中山道の板橋宿」・「甲州街道の内藤新宿」・「日光街道・奥州街道の千住宿」を凌ぐものであり、明和元年(1764)には飯売女(めしうりおんな)を500人まで認められると(板橋や千住は150人)、吉原に次ぐ盛り場となりました。また、御殿山など江戸から近い行楽地でもあったため、煮売屋などの飲食屋も多くありました。

近代の品川は、宿駅制の廃止と鉄道の開通によって宿場町としての機能は失われてしまいますが、北品川では多くの遊郭が営業を継続したことで商業施設が建ち並びました。また、目黒川流域の低地には大規模工場が立地し、その周辺の南品川では下請けの小規模工場が増え、工業地域として発展していきました。なお、遊郭としての賑わいは、昭和33年(1958)の売春防止法施行まで続いたとのことです。

品川周辺のおすすめスポット

  • 品川神社
    金運アップで有名なパワースポット。源頼朝が創設。龍の彫刻が施された石造鳥居や狛犬、塚など見所たくさん。6月上旬には「北の天王祭」と呼ばれる例大祭が開催
  • しながわ水族館
    しながわ区民公園内にある水族館。1階の海面フロアでは生物の展示、スタジアムではイルカやアシカのショー、地下の海底フロアではトンネル水槽と多様な展示や催しが楽しめる
  • 八ツ山橋
    箱根駅伝の中継で有名な場所で、旧東海道品川宿を散策する際のスタート地点。橋の下は電車がたくさん通過する絶好の電車ビュースポット
  • マクセル アクアパーク品川
    様々な生物が展示される屋内型水族館。品川駅から徒歩10分ほどとアクセスも良く、家族やカップルなどに最適なお出かけスポット
  • 天王洲アイル
    東京湾に面する人工島。再開発によりオフィスビルやショッピングモール、ホテル、アートギャラリーなどが集積するエリア。ドラマのロケ地としても有名
  • 御殿山庭園
    御殿山トラストシティ内にある、緑豊かなお散歩スポット。御殿山は江戸時代から桜の名所であり、桜の時期には多くのイベントが開かれ多くの人で賑わいます

高井戸【杉並区】

高井戸

交通情報でよく聞く「高井戸インターチェンジ」がある高井戸は東京都杉並区にある地名で、杉並区の最南部に位置する地域です。甲州街道と環状八号線が交わるこの地は、江戸時代においても交通の中継地点でした。

地名の起源はあまりはっきりしておらず、不明な点が多いです。かつて小高いところにあった堂の傍らから水が湧き出ていたことから、高いところの井戸「高井戸」と呼ばれた説、高台のお堂に不動様が祀られていたことで「高井堂不動」と呼ばれ、そこから「高井戸」という名称が生まれた説、また高低や井戸に関係なく、高井家が代々宮司を務めた神宮寺があり、そのお堂には不動様が祀られていたことから「たかいどう」と呼ばれていたことが由来となった説などがあります。

高井戸は、江戸を起点とする五街道の一つ、甲州街道の第一の宿でした。甲州街道は江戸日本橋から甲府(山梨県)を経由して下諏訪(長野県)に至る街道で、下諏訪で同じ五街道の一つ、中山道に合流しました。元和2年(1616)、甲州街道の人馬の通行を監視するため四谷(新宿)に大木戸が設けられ、寛永15年(1638)には、その交通に携わる専門業者の町として、四谷伝馬町が開かれました。

『新編武蔵風土記稿』によれば、高井戸宿は日本橋から四里(約16キロメートル)の位置にあり、上高井戸宿と下高井戸宿に分かれ、月の1日~15日までを下高井戸宿が、16日~30日までを上高井戸宿が営業していました。また、甲州街道の他の宿と同様、公用荷物などの継ぎ送りのために人馬25人・25匹を常備していましたが、これでは公用の通行に不足するため、周辺35の村を助郷村(すけごうむら)として、人馬の応援を得ていました。

高井戸宿は最盛期には旅籠屋34軒を数えるほど賑わっていましたが、江戸から遠いという理由で元禄11年(1698)に江戸との中間に内藤新宿が開設されました。内藤新宿は一旦廃止されるも再興され、江戸の西の玄関・盛り場として大いに繁盛、一方で高井戸宿は活気を失ってしまいました。

高井戸周辺のおすすめスポット

  • 高井戸温泉 美しの湯
    高井戸駅から徒歩2分の市街地にある温泉施設。地下1,600mより湧出する琥珀色の天然温泉は疲労回復や美肌効果が期待できます
  • 高井戸遺跡
    都内で最も古い稲作遺跡とされる「高井戸稲作遺跡」が発見されたことで知られる。遺跡からは弥生時代の生活や文化についても多くの知見が得られ、古代日本の研究に重要な役割を果たしています
  • 塚山公園
    杉並区下高井戸にある区立公園である。縄文時代中期の集落遺跡で、区指定史跡に指定されている塚山遺跡の復元住居などが公開されている
  • 柏の宮公園
    杉並区浜田山二丁目にある区立公園。草地広場や池にテニスコート、日本庭園と茶室といった公園としての設備に加え、区の防災施設として、災害備蓄倉庫や防災井戸も設けられている

新宿【新宿区】

新宿

新宿は日本有数の繁華街として知られており、多摩地域から東京都心への交通の要所として多くの人々が集まります。ターミナル駅「新宿駅」周辺には多くの商業施設、ショッピングモール、デパート、飲食店、カフェ、バーなどが集まり、賑やかな雰囲気があります。他にも、新宿御苑や映画館など多くの文化施設やエンターテインメント施設があって、文化や観光を楽しむことができます。さらに、歌舞伎町という歓楽街では夜のエンターテインメントも盛んです。また、新宿副都心には多くの企業や金融機関の本社や支店があり、オフィスビルやビジネス施設が立ち並びます。新宿はビジネスマンが集まるエリアとしても発展しています。

新宿は江戸時代、「内藤新宿」という宿場町でした。徳川家康が関東入国の際に、家臣の内藤清成が警備のため、予めこの地に陣を敷いており、その功が認められて清成はこの一帯を拝領、以後、この地は高頭藩内藤氏の拝領地となりました。当時、この地には甲州街道と青梅街道が通っていましたが、それぞれの第一宿場である「高井戸」と「田無」は江戸まで四里(約16キロメートル)と距離があり、その途中に人馬ともに休む場所が必要とされていました。そこで、元禄11年(1698)、浅草阿部川町(台東区)の名主喜兵衛ら五名が宿駅開設を願い出て、許可が下りました。

内藤新宿という名前の由来は、「内藤」は内藤氏の所領だったからですが「新宿」は諸説あります。一つは、第一の宿場であった「高井戸宿」に対して新しくできた宿場だからという説や、もう一つは、この地が寛永二年(1625)以来、太宗時(新宿二丁目)門前町に「内藤宿」という俗称がつけられており、それに対しての新しい宿場だからという説があります。

元禄時代(1680~1709)に入ると、商業が発達し、物の流通が盛んになり人馬の往来が増えました。また旅行者も増え、旅籠屋は飯盛女(飯売女・足洗女ともいう)を置いて、非公認の遊郭「岡場所」として賑わいを増し、こうして内藤新宿は品川、千住、板橋とともに江戸四宿(えどししゅく)の一つとして発展していきました。歓楽街としての新宿の原型が、すでにこの時に出来上がっていたのかもしれません。しかし、内藤新宿は五街道の中で一番交通量が少ないことと、飯盛女の客引きに代表される風俗による退廃が理由とされ(※諸説あり)、一度廃駅になりました。ただ、名主たちの再興運動により、明和9年(1772)に内藤新宿は再開。再開後は宿場として厳しく整備され、人馬の往来は以前より多くなりました。特に四谷通りは荷を運ぶ馬が多く通ったため、「四谷新宿馬の糞」と言われるほどだったということです。『名所江戸百景』の中で広重は、足元に馬糞の落ちた「最も汚い絵」と言われる絵を描いています。

こうして内藤新宿が歓楽街として発達していくうちに、略して「新宿」と呼ぶようになっていきました。そして、明治4年(1871)、郵便局と陸運局が設けられて宿駅伝馬の制が廃止されると、宿駅としての内藤新宿は終わりを迎えました。

新宿周辺のおすすめスポット

  • 東急歌舞伎町タワー
    2023年4月開業の複合高層ビル。国内最大級のホテル×エンターテイメント施設からなり、映画館や劇場、ライブホールや飲食店が集まります
  • 新宿御苑
    広々とした芝生と静かな木立のほか、日本庭園、整形式庭園、風景式庭園という3つの特徴ある庭園があり。春には約千本の桜、秋には見事な紅葉が楽しめます
  • 東京都庁
    庁舎は2つのタワーで構成され両方とも無料の展望室があり、東京の街並みを一望できます。映画やドラマのロケ地としてもよく使われています
  • 花園神社
    新宿の総鎮守。商売繁盛や子授け、縁結びにご利益のある「威徳稲荷神社」と芸能の神を祀る「芸能浅間神社」があり、女性や芸能人が多く参拝。毎年11月に開催される酉の市には多くの人で賑わいます
  • 新宿天然温泉 テルマー湯
    天然温泉施設。内風呂・露天風呂・サウナや岩盤浴も楽しめ、飲食施設も充実。24時間営業なので終電を逃した場合の休息スポットとしても便利
  • 末廣亭
    新宿区地域文化財に指定されている定席寄席。これまで数多くの名人が出演。落語だけではなくライブやトークショーなど、様々なイベントが開催されることもあります
  • ルミネtheよしもと
    吉本興業が運営する劇場。ルミネ新宿2の最上階にある劇場で、吉本の人気芸人を中心に漫才やコントなどを年中無休で楽しめる。グッズや軽食の販売もあり
  • そっくり館キサラ
    歌舞伎町にある、ものまねショーレストラン。多くのものまねタレントが日替わりで出演し、食事をしながらショーが楽しめる
  • 韓国広場
    新大久保にある韓国食品専門のスーパーマーケット。食材のほとんどを韓国から直輸入。韓国雑貨店も立ち並び、国内で韓国文化を楽しめるスポットとして人気です
  • 新宿東宝ビル
    東宝が建設した複合インテリジェントビルで、低層部には飲食店や物販店舗があり、上層部にはホテルや映画館が入る。8階テラスに設置された巨大なゴジラの頭が特徴で世界初のゴジラ公式ショップもある
  • 新宿サザンテラス
    新宿駅南口から代々木方面に広がる遊歩道で、飲食店やショップ、映画館などが入る複合施設です。クリスマスのイルミネーションは人気のお出かけスポットです
  • サナギ新宿
    甲州街道高架下にある広大なフード&イベントホール。「アジア・日本の屋台村」をテーマにして様々なメニューが楽しめる
  • JR新宿ミライナタワー
    西新宿にある超高層複合ビル。ショッピングモール「NEWoMan」があり、ファッション、グルメ、コスメなどの店舗が多数集まる。展望台があり東京都内の景色をフルパノラマで楽しめます

千住【足立区】

千住

千住は東京都足立区の町名ですが、地域名としては旧千住町一帯を指します。

千住という地名の由来は、『新編武蔵風土記稿』によれば、嘉暦2年(1327)、荒川で千手観音が拾い上げられ、勝専寺(千住2丁目)に安置されたからとする説や、中世に千葉氏が居住していたため千葉住村(ちばじゅうむら)といっていたのが略され千住村となったという説などがあります。

古くから交通の要所であった千住村は、江戸時代に入ると江戸から江戸以北へ通じる日光街道の初宿に指定されました。日光街道は家康を祀る日光東照宮への社参に使用される重要な街道であり、千住は様々な多くの人々で賑わっていました。
江戸に向かう大名は、最後の宿場である千住で身支度を整えてから江戸に向かいましたが、この時捨てられた衣服や足袋を拾い集めて売ったのが、現在も続く千住勝専寺前のボロ市の始まりといわれます。

一方、千住のような初宿は、江戸から距離が近いということで宿泊する旅人が少なく、営業不振に陥る店も少なくありませんでした。その打開策として、旅籠屋に飯盛女を置かせて欲しいという願い出が、千住・品川・板橋三宿の問屋・年寄・旅籠屋惣代連名で幕府に出され、明和元年(1764)に、品川は500人、千住と板橋には150人の飯盛女が公認されました。これにより江戸後期の千住宿は、単なる宿場としてより江戸近郊の遊里として人が集まりました。近くに吉原もありましたが、安く庶民的で堅苦しくない千住を好む人は多く、大いに繁盛したということです。千住宿の遊廓は、大正8年(1919)に千住中心部から郊外の千住柳町へ移転させられ、現在は「柳町遊廓街」として、名称と町並みがわずかに残ります。

千住周辺のおすすめスポット

  • 千住 街の駅
    観光に役立つマップやパンフレットが置いてある観光案内所。元は魚屋さんのレトロな外観。中では休憩できるイスや展示物コーナーがあります
  • 荒川
    埼玉県・東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川。サイクリングロードや自然公園などがありアウトドアレジャーに最適。毎年7月に開催される荒川の花火大会も有名です
  • 千住大橋
    隅田川に架かるもっとも古い橋。松尾芭蕉がこの周辺から奥の細道の旅をスタートさせたと言われ記念碑があります
  • 勝専寺
    浸水対策によるレンガ造りの本堂や真っ赤な門が特徴的な別名「赤門寺」。毎年1月15日・16日に開かれる「えんま開き」の祭事には1.8mのえんま像が公開され人で賑わいます
  • 本町センター商店街
    江戸時代の千住宿の跡地にできた商店街。下町情緒あふれるこの商店街は、地元の人から観光客にまで幅広い人々が訪れる憩いの場となっています
  • 名倉医院
    江戸時代から整骨院として名を馳せ、「名倉」の名前は「骨接ぎ」の代名詞として全国に広まっています。千住の本院の建物は、足立区の有形文化財に指定される観光名所です
  • 足立の花火
    毎年7月に開催される荒川河川敷を会場とする足立区の花火大会。かつては、大正時代の千住新橋の開通を記念した花火大会の翌年から始まった「千住の花火大会」が開催されていた。

板橋【板橋区】

板橋

板橋という地名の由来は、滝野川(石神井川)に架かる橋がもともと板製だったことから「板橋」という名称になり、それが地名へと変わっていったとされています。最古の書写本とされる『延慶本平家物語』の記録によると、800年以上前の鎌倉時代から、その地名が使われていたことが分かります。

江戸時代の五街道の一つである江戸日本橋から京都に至る中山道(現在の旧中山道)の、江戸日本橋から1番目の宿駅であった板橋宿は、京都から江戸への入口となり、東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、奥州街道・日光街道の千住宿とならび、江戸四宿(えどししゅく)の一つとして栄えました。板橋宿は中山道を挟んで形成された宿場町で、日本橋方面から「平尾宿」「仲宿(中宿)」「上宿」に分かれた3つの宿場を総称したものです。
板橋宿が人馬を提供する数は50人・50匹で、宿場を運営するために、名主(宿の行政を司る)・問屋(伝馬・商用荷物の継立てや御用通行人の宿泊手続き)・年寄(各業務の補佐)などの宿役人が置かれました。

江戸の入口として繁栄してきた板橋宿も、中山道の重要性の低下につれて寂れてゆき、明治時代になるとその終焉を迎え、板橋遊廓へと変貌していきました。なお、遊廓としての賑わいは昭和中期の太平洋戦争まで続いたということです。

板橋周辺のおすすめスポット

  • 石神井川
    荒川水系の支流の一つで東京都を流れる一級河川。公園や資料館など自然や文化を楽しむことができるスポットがたくさんあります
  • 板橋区立熱帯環境植物館
    通称「グリーンドームねったいかん」。大規模な温室施設で熱帯ジャングルや沼地、砂漠など植物の生育環境を再現。東南アジアの熱帯魚を飼育する大型水槽などもある。土日祝日は館内の喫茶店でアジア料理が楽しめます
  • 東京都立赤塚公園
    赤塚城跡を整備した広場や、野球やサッカー、テニス、陸上、プールなどのスポーツ施設が充実。バーベキュー場やキャンプ場もありアウトドアイベントにも最適な場所。じゃぶじゃぶ池の噴水は夏場水着で子供たちが戯れる人気スポットです
  • 赤塚溜池公園
    池や湿地帯など豊かな自然が広がり、多くの野鳥や植物が生息。「板橋十景」に選ばれるほど、板橋らしさを象徴する公園です。梅の名所としても知られ、毎年3月には梅まつりが開催、様々なイベントが楽しめます
  • 前野原温泉 さやの湯処
    源泉かけ流しの天然温泉を都内で味わえる日帰り温泉施設。うぐいす色の源泉風呂は優れた保温効果で「熱の湯」とも呼ばれ、神経痛、慢性リウマチ、冷え性にも効果的。他にも14種類のお風呂と岩盤浴(別料金)があります


※参考資料:大石学著『地名で読む江戸の町』PHP新書

中央区、品川区、杉並区、新宿区の住みやすさは?東京都心14区の住みやすさを各種データで比較した次の記事もご覧ください。

「都心に住もう!東京14区の住みやすさ比較」
中央区 品川区 杉並区 新宿区

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