≪新宿の由来≫
甲州街道の第一番目の宿場は高井戸宿でしたが宿場が遠く人馬ともに難儀だったそうです。そこで、浅草阿部川町に住む名主喜兵衛が元禄10年に同志4人と共に、大宗寺の南東に宿場を開設するように、幕府に願いを出しました。この願いは元禄11年に許可となり、信州高遠藩内藤大和守の下屋敷や
旗本朝倉氏の屋敷地を返上させて新しい宿場を造りました。大名の内藤家があったので 「内藤新宿」と呼ばれました。
宿場は大木戸側(当時の宿場には往来規制のために大きな木戸がある町があ った)、から下町、仲町、上町に分かれ、東西九町十間余で、今の四谷4丁目
交差点から伊勢丹あたりまでだったそうです。
新宿通り沿いに青梅街道と甲州街道との追分け(分岐点)があり、それは新宿三丁目交差点付近でした。
今でも「新宿追分」として名前が残っています。
また、この辺りに内藤家下屋敷があり、屋敷前には玉川上水が流れていたそうです。
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