≪世田谷城址公園≫(世田谷区豪徳寺2-14-1)
彦根城主井伊家の菩提寺豪徳寺の広大な境内の隣に、小さな公園があります。それが、「世田谷城址公園」です。
室町時代から戦国時代の世田谷吉良氏の城跡で、土塁と空掘の跡があり、かつては豪徳寺も城の一部でした。
今では名門の武蔵吉良氏の本城も、公園の林の中には本丸の一部分しか残って いません。
それでも公園内には空堀・土塁・櫓台が残り、特に土塁は、 北条氏系城郭特有の比高二重土塁も見ることができます。
世田谷城は、南北朝時代(1331〜91年)中期に鎌倉府の支えとして足利一門の名族吉良治家による築城とされています。
鎌倉府における吉良氏の地位は公方、関東管領に次ぐ第三位という高位を与えられており、「吉良殿様」とか「世田谷御所様」と呼ばれていたそうです。
治家以来の吉良氏は以後、8代240年にわたって勢力を振るいましたが、
小田原 北条氏綱が武蔵国に侵攻すると後北条氏の女を妻として傘下に加わり、 天正18 年(1590年)には、
豊臣秀吉が小田原を陥落後、開城、8代氏朝が北条氏と姻戚関係であったことから領地を没収、
城も廃されたうえに城壁の石垣も 江戸城修築の部材として持ち去られてしまったそうです。
|