社団法人日本プロボウリング協会・前会長、石川雅章氏。
2010年(平成22年)10月21日に病気療養中のところ心筋梗塞のため永眠。
享年73歳でした。
石川氏はチャーターメンバー(1期生)として1967年プロ入り。
元俳優という異例の経歴を持ち、異色のプロボウラーとしてあらゆる方面で
ご活躍されました。
1968年には、5月度月例会でJPBA公認第1号のパーフェクトゲームを記録し、
JPBA設立後はじめての公認パーフェクトボウラーとなりました。
あらゆる活躍の中でも、特にトーナメント開発には力を発揮され、数々のナショナルスポンサー獲得に尽力されました。
また現役にこだわり続け、シニアになってからは本場アメリカのシニアツアーに参戦し、アメリカプロボウリング協会(PBA)やアメリカボウリング場協会(BPAA)と、
強いパイプを作られたのも氏の功績でした。
初代会長である故・都築俊三郎氏勇退の折には会長代行を務め協会運営に力を注ぎ、2002年に会長に就任。
2004年春、現中山律子会長にバトンタッチしてからは協会幹部も退かれましたが、神奈川支部の活動や、
トーナメント開発を中心に縁の下の力持ちとして最後まで協会発展に寄与されました。
< 石 川 雅 章 氏 来歴 >
1958年ボウリングを始める。
1959年秋に開催された全日本選手権において、粕谷三郎とのダブルスで優勝。
1967年1月 日本プロボウリング協会(JPBA)
推薦プロボウラーとして、チャーターメンバー(1期生)の一人となる。
1968年5月15日、JPBA設立後はじめての公認パーフェクトボウラーとなる。

1975年9月 東日本9月度月例会優勝 タイトル1
1986年12月 日本プロスポーツ大賞 功労賞受賞
1991年4月 社団法人日本プロボウリング協会 理事就任
1994年4月 同協会 副会長就任
2000年4月 同協会 会長代行就任
2002年4月 同協会 会長就任

彼の残した功績のひとつには、新しいボウラーの発掘があります。
素質のある新しいボウラーを発掘し、育成にも興味を持ち、矢島プロや塚原次雄プロ、女子プロなどなどを送り出しました。その最たるものが、彼のアドバイスによりトップに上り詰めた矢島プロ。彼が今までトップを走り続けてきた源は石川プロ抜きに語ることはできないでしょう。
そしてもう1人、石川プロが育てた故山中順之佑プロの実弟、羽田晴喜(現 住建ハウジング会長)の才能を見抜き、プロ一発合格を果たしたことも忘れてはいけません。羽田会長は石川プロへの恩返しのために、
「石川雅章氏を偲ぶ会」の発起人となりました。
(1期生・和田幸二郎さん追悼の言葉より抜粋)